東久留米日記

時事メモやオモチャと文房具のリサイクルとかごみ収集の話とか

エコマップ

まちさぽのメーリングリストにメール出した。
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<その1>
20日のエコマップの編集会議に、社会福祉協議会からもどなたか参加してもらえないかと思い電話をしてみました。

社協は不用品の受付もいろいろやっているので、エコマップに載せたいと思うからです。(社協の人は補助金を出してる団体に突撃訪問するなど、フットワークがあるので来るかもしれないと思ったので)

社協に電話で話して趣旨を御理解していただけまして、当日は参加しないけど、社協で受け付けている不要品のリストや、回収した物品をどこに配布してるかについてをまとめたものを生活文化課の○さんのほうに事前に送っていただける約束をとりつけました。

○さんお忙しいところ恐縮ですが、よろしくお願いします。当日10部くらい??コピーして資料として配布していただけたらと思いますのでよろしくです。

<その2>
実際にエコマップを紙媒体でつくるとき、用紙とか印刷とかは市役所のほうでどれくらいひきうけていただけるのでしょうか。

私は育児マップの冊子をモデルとして考えています。
2011育児応援マップのときはメンバーが集まって社協で印刷、二つ折り、綴じをしたそうですが、そのように想定していいのでしょうか。

それとも、(虫のいい話ですが書いてみると)原稿さえあがれば、あとは市役所で用紙を用意して下さり印刷・中綴じまでやっていただけると思っていいのか(昔、初期の今ほどページ数の多くなかった育児応援マップを市職で印刷製本していただけたことがあります。)実際のところ、どうなんでしょう。

<その3>
20日の三時からエコマップの編集会議のつもりでいますので、当日すぐ編集会議できるようにエコマップに載せられそうな項目(団体)について資料を用意していきます。私はとにかくいまあるもので、エコマップ2014を編集してさっさと発行してみるのが大事だと思います。
 不出来であっても、それをタタキ台にしてつぎのエコマップ2015とかを編集していけばいいと思います。(3月ころから私はエコマップエコマップエコマップzzzzzzzといっていますので、ここでさっと終わらせ、次のステージにいきたいと思います)よろしくお願いします。

<その4>
七小の事務の方によると、滝山公園で毎月1日に台所の廃食油を回収しているところがあるそうです。いったいどこの団体がどんなふうにやっているのか。ご存知の方教えてください。

<その5>
野火止地区センターと南部地域センターで台所のてんぷら油の廃食油を受け付けています。(ぜんぜん知られていないのでは!)
それらに回収に来てる業者さんについて、ご存知の方いらっしゃいますか。
ごみ対策課が数年前にやっていた廃食油の回収実験をそのまま継続しているのではないかと思います。
(ごみ対策課に聞いたほうが早いかも。いやしかし、ごみ対策課の方にもできれば編集会議に来てもらいたいがどうなんでしょう。社協は市役所の外部の組織だと思うので、直接電話をしたのですが)

とりいそぎ用件のみにて失礼します。
ではでは
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東久留米市の輪郭だけの白地図
http://hakuchizu.net/map/kanto/13tokyo/higashikurumeshi.html
小金井街道西武池袋線だけ入ったのがほしい。

こちらのサイトももっと資料用のページにしなければ
http://kururu.izakamakura.com/higashi-ku/kuru-index.html

公式サイトの地図
http://www.city.higashikurume.lg.jp/kensaku/cityguide/map/map_index.html
市議会市議
http://www.city.higashikurume.lg.jp/kensaku/gikai/gikai/gikai8-10.html
LibreOfficeの使い方が・・・

まちさぽは、どうにもこうにもgdgdな組織でしょうもないということを、私はいままでブログにもさんざん書いてきた。

が・・・・・
「あるものを使いまわしてしていくしかない」と方向を変えた以上、がむばります。
(ははははははは 笑うしかない)

主婦なら「冷蔵庫の中にある材料で」作れるものをまず作らねばならないす。

内田先生も手持ちの材料を使いまわしていくのがプラグマティズムだと教示してらっしゃるし。

(しくしく)

そういえば「暮しの手帳」の編集長だった花森安治も戦時中はアレでしたー。
「ほしがりません。勝つまでは」の名コピーを作ったのは花森氏ではなかっただろうか????

本物の村岡花子さんは戦後はどうやって自分を立て直したのだろうか。
それとも何事もなかったふりを通したのかな。