東久留米日記

時事メモやオモチャと文房具のリサイクルとかごみ収集の話とか

過去ログー1かな?(P1〜3)

これは東久留米市にグリーンボックスとオレンジボックスがあった頃の話



後ろに見えるのは中央図書館。粗大ごみ(不法投棄)や空きビン(ボックスに入らなかったのだろう)もオレンジボックスの横に出されている。

グリーンボックスは「可燃ごみ」用。
オレンジボックスは「ビン,缶,プラ,不燃ごみ全般」用
行政による古紙回収はなかった。


チェルノブイリのあとの脱原発運動で、資金稼ぎの方法を検討してる時に、東久留米市には古紙回などを集団回収すると、資源回収の報償金制度から金が出るという情報が出た。
古紙の業者から古紙と交換にもらう売却金のほかに、市から回収量に応じた報償金が出るというので、やってみた。


東久留米市の資源回収の報償金は1キロあたり10円で、これは周りの自治体に比べてかなり高かった(後年、9円に改訂された)
例えば新聞紙
1世帯が一紙(朝刊夕刊とも)とると、1ヶ月の量は約10キロ。
10キロ→報償金は100円
だから自治会などで集団回収して市に報償金を申請すると、けっこうな金額の収入になる。
(逆に東久留米市からは年1000万円くらいの支出になる)

東久留米市では小山小学校がPTAで集団回収を行い、その収入(年20〜40万円くらいだったかな?)を特別会計としてプールし、新学期に横断歩道で旗を持つ人を、PTA役員でなく、シルバー人材センターから雇用したり、ほか色々な費用にあてている。

(同じ市内の公立小PTAでもかなりヒラキがあるのをなかなか知る機会はないので、知ったときは驚いた)



やってみると、東久留米市のごみ収集がいかに遅れているかがわかり、脱原発の運動がそちらに転がっていったのだった……(;´゚д゚)ゞ

回収したのは新聞,段ボール,古雑誌,古布,空きビン、空き缶。


当時の市の報償金制度の対象の資源がこの項目だった。
(2018年現在はビンは対象からはずされ、空き缶はアルミ缶だけだろう)




注↑
ここの「生活者ネット」は「東久留米・生活者ネットワーク」です
(現在は東久留米に生活者ネットは ない )。

この時は、いくつかの区と市に生活クラブ生協の組合員の有志から成る生活者ネットワークというローカルパーティー(地方政治団体)があった。

現在都議会にある会派の「東京・生活者ネット」は都議を選出している複数の自治体をまたぐ生活者ネットワークで、各地の生活者ネットとはつながりはあっても直接の関係はない。ましてや下部組織とかでもない。




近隣市では、空きびんと空き缶の分別収集が始まっていたが、東久留米はその予定すらなかった。

現在の西東京市は合併前の保谷市田無市だった。
両市でも新座市でも空きビンと空き缶の分別収集が始まっていた。

東久留米市の行政は…………(  ̄- ̄)

与党も野党もあれですから…………(-_- )


補足
これは、東久留米の生活者ネットワークの事務所。S田さん=市議会議員の給料から家賃を払っていた。

生活者ネットは都内のいくつかの自治体にあり、そのひとつが東久留米の生活者ネットであり、他の自治体の生活者ネットも、代理人(市議や区議)を出してそれぞれの地域の課題に対して活動していた。

補足
この時の市の資源回収の報奨金の品目には古紙と古着のほかにビン、缶も含まれている。が、この頃(1989年)はペットボトルが普及し始めた時期で、酒屋さんに日本酒の一升ビンの空きびんを持って行ってもいい顔をされないし、ましてやふつうの空きビンを引き取る一般の業者は市内にほとんどなかった、いや、なくなっていった。

アルミ缶以外のスチール缶は、缶を持っていってもらう回収業者にお金を払わないと引き取ってもらえないくらい値が下がっていた。かろうじて、こちらから業者さんの工場に持ち込むなら引き取ってくれた。

脱原発一歩の会」のメンバーがワゴン車を持っていたので、その車に空きびんと空き缶を積めるだけ積んで、回収してるところ(新座市の専門業者)へ持っていった。(新座市の缶の回収業の専門の問屋に、専門のトラックに混じって一般のワゴン車が並ぶということをよくやったものだと思う。怖いもの知らずでした)

郊外にある大手のビンの回収業者さんに「空きびんが10トン集まれば回収に行きますよ」といわれても、空きびんを10トンもためておくなど不可能なのは言うまでもない。

(作中に名前が書いてあるワゴン車の運転手はこのあと引越しされているし、20余年の話なので、名前はそのままにしておく)



補足
ペットボトルが普及し始めた頃で、空きびんはお金にならなくなっていった。
ビン商に空き瓶を引き取ってもらってもお金にはならないが、引き取り量の書かれた伝票を出してもらえるので、100キロの空きびんを引き取ってもらえれば、報奨金があとで、1000円入ることになる。

当時の東久留米市オレンジボックス不燃ごみとビンも缶もは一緒に入れるシステムだった。
オレンジボックスで回収されたゴミ(ビンや缶も)はどうなっているのかは別項で。




1993年、2,1に発行した、「東久留米市に、空きびんと空き缶のポイント回収をしてもらうまでの活動報告」の冊子より

つくったが頒布が出来なかった。その理由もこみいっている。
orz orz orz orz orz

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なぜ東久留米市生活者ネットワークができたかというと、学校給食の民間委託問題が起きたからだったが、長すぎるので省略する。

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