東久留米日記

時事メモやオモチャと文房具のリサイクルとかごみ収集の話とか

首相官邸前抗議行動(デモ)

7月1日(火曜)5時からの首相官邸前抗議行動に一人で行ってきた。

注 デモやパレードは主催者が当局に届け出(車道を歩く場合や、歩道でも交通上の混乱が予想される場合があるので)をしたあと、ツイッターやブログやサイトなどネット上や紙のチラシなどで告知する。
それを見た人がその時間と場所に行き、勝手に参加して勝手に離脱する。

↑といったものだと私は思っているし、脱原発のデモでそういう参加の仕方をしてきた。今回も同様。

6月30日のデモは6時半からなので諦めたが、7月1日に別の団体による抗議行動があり、5時からの抗議もあったので参加してきた(デモを届け出た団体が違うだけで、デモに参加してる人達はどちらも同じ層だろう)。ここ数年の自分のヘタレ具合を考えると久々の冒険だった。5時前に家を出て8時に東久留米駅に戻るという程度だが消耗した。西武池袋線で練馬から有楽町線永田町駅に。

「負けられない戦いがある」などの悲壮な気持ちで行ったのではない。公明党が賛成にまわってしまったので、デモでいまさら覆るわけがないと判断する頭はちゃんとある。
ただ、行かないと後悔するだろうというのが動機だった。

もっと言うと、「都議会のセクハラ野次とサッカーで日本がわいている間に集団的自衛権閣議決定されてしまった」という誰かの指摘が痛かったので、官邸前抗議に参加することでせめて自分の帳尻あわせをしたかった、のだ。

6月下旬は都議会のセクハラ野次問題の行方について注目していてツイッタではその問題周辺の意見ばかりメモとしてRTしていた。そうこうしてるうちに重大問題が通ってしまった。
セクハラ野次(が顕在化させた旧態依然の社会)と集団的自衛権閣議決定はどちらも問題であり、双方がリンクしているのも間違いないが、両方を追えるキャパシティがないので後者を問題にできなかった感がある(自分的に)。せめて官邸前行動に参加することで、その埋め合わせをしたかったのだろう(理屈っぽい自分)。



文字は約束。文字は契約。文字はじゅもん。

こくみんを守る最高位のじゅもんが 汚されてしまった。
勝手に書き換えられてしまったに等しい。

官邸前に行くと、そういうことに
いらだちや
ふあんや
ききかんを持つ
多分自分と「同じ言葉を話す」と思われる人がたくさんいたので
ちょっとほっとした。

(まさか書き換えたからすぐに戦争が始まるとか思っているわけでもないす)


これから日本で起きる戦争があるとしたら「隣町戦争」のような静かな形か
地下鉄サリン事件のような突然日常をひっくり返す街中のテロか
途上国支援にいっている中村哲さんのような方が危険にさらされる可能性が。

いやさイラク派遣から帰った自衛隊の方が28名も自死したことを思うと
   ↓
NHKクローズアップ・現代「多国籍部隊の中に派遣され、多くの自衛官が「最も戦場に近かった」と回想する自衛隊イラク派遣で、隊員たちが直面した活動の実情」: イラク派遣 10年の真実
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3485.html
今後はこういうこと(自殺者数など)が特定秘密にされるのかまさか。
いやでもしかし何を秘密にするかは為政者の判断だから。
国民または自衛隊員の士気を下げるという理由で秘密にすることができるのではないか。もしかして。
何故なら、何が秘密かどこまでが秘密か、それが何故秘密なのかという理由も秘密であるに等しいのだから。まさか。

昔ロシアがソ連だったとき、ソ連の自殺率は秘密だった。共産主義の国は地上の楽園なので自殺者が出るはずがない、ということで自殺者は「永遠のゼロ」だった。きっと今の北朝鮮も同様だろう。



同じ言葉を話す人、といえば環境フェスの実行委員会の女性有志に声かけしたお茶飲み会が生涯学習センタ向かいの「かくしち」で昨日3時から催されたが(自分を含めて8人)、市内の自然環境について話していると空き家の問題に行きつくのが可笑しかった。
市内の名所竹林公園に行って湧水がきれいと思っても、すぐ目の前に鉄屑のちらかったバラック(空き家)があっては何をかいわんや。来た人はがっかりするだろう。これは私でなくても。普通の人でも。

ああいうものを「なかったこと」にしたい人が市役所に多いと、話が進まない。
ああいうものを「見なかったこと」にして東久留米の名所だなんだと言っていてはいけないでしょう。

かくしちのコーヒーとケーキで950円は痛かった。美味しかったが。そういう店だけどさ。これもデモと同じ非日常空間だと思えばゆえなし。

私はしゅっちゅう思う。「フツウノヒトハ 一体何ヲ 考エテイルノダロウ」