東久留米日記

時事メモやオモチャと文房具のリサイクルとかごみ収集の話とか

(旧)市民生活課は(現)生活文化課で、2階エレベーター上がって右

市役所5階にある環境政策課より市民環境会議のメンバーにお知らせ。

 ☆「協働の指針」勉強会☆
  「みんなでワーク」グループが、1月14日 ○○時
  ××会議室において、生活文化課職員を交え、勉強会を行います。

質問があったら事前にメールで送れ、生活文化課に転送してやるけんっちゅうので下書き作る。今までブログで書いたのを開いて、切り貼りして整えるw

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東久留米市生活文化課が(市民と行政の)「協働の指針」を作成したと2019年の12月の市民環境会議で聞きました。

東久留米市はかつて鳴り物入りで「まちづくりサポートセンター」という市民と行政の協働を謳い文句にした会議(というかサロンなどの施策?)を、準備期間を入れて10年続けたあとに閉じました。
(現在の「まちさぽ」は旧のメンバーを全く含まない新生まちさぽです)

◼️質問1
旧まちさぽにについてはどう総括されていますか。
例えば「2020年はどんな年にしたいですか」と聞かれても誰でもすぐには答えられませんが、そこで「2019年はどうでしたか。どこが良くてどこが良くなかったですか」という振り返りを聞かれればそれをベースに考えられますよね。普通は。

「まちさぽ」のころの生活文化課(旧市民生活課)の職員が皆移動してそこにいなくても、役所の体質は受け継がれていくので、過去に失敗した(市民と行政の)「協働」についての総括(良かったこと、悪かったこと、なぜ上手くいかなかったかの理由や、「まちさぽ」の座長をああいう人を選び、ああいう座長を「まちさぽ」終了という理由でしか辞めさせることが出来なかった理由など)について伺いたいです。

もしも行政が(市民と行政の)「協働の指針」について過去はリセットして白紙から考えるとか言い出すなら、同じことをまた繰り返すつもりです、という話になるので冗談ではありません。

2015年7月18日(土)の東久留米市男女平等推進センターの会議室で「まちづくりサポートセンター」の存続についての話し合いがありました。
なんらかのソシキが終了についての話し合いを始めると、どこかから聞き付けてきた、そのソシキの初期に関わった元重鎮のような人々が出てきて(最近の運営状況をご存知ない)、ソシキの存在意義を説いて終了を思い止まらせる。それも集団の力学なのだろうと思われました。

そこに市民生活課の課長さんも出席されて「協同(働?)」を繰り返されていました。「協同(働)って何だ、自分もまだよくわからない」と正直に言われてました(10年近いソシキについてその言いようですか)。まちさぽ終了と聞いていたのに「市の長期総合計画に『市民との協同』をうたっているので、まちさぽをなくすわけにはいかなくなった」ような話とか。「ともに地域の課題を」とか、一体何を今さら言ってるんだと思いました。
「まちさぽ」サロンで具体的に地域の課題について話が出て動こうとすると、ぜんぶ、座長が止めているので、志のある皆さんは「ここにいても何も始まらない」といって、どんどん抜けて行った果ての終了というのに、市役所の偉い人は一体何を言ってるのかと思いました。

そこでまた何十回目かのリセットがなされ、「地域の課題とは何か、さがそう」というところから始まるのかとあきれました。

 

というわけで、東久留米市生活文化課が(市民と行政の)「協働の指針」を作成したと2019年の12月の市民環境会議で聞いたときには、無限ループがまた始まったかと思いました(そしてどんどんガラパゴス東久留米になっていくのかまさか)。

「まちさぽ(旧)」失敗の総括は果たして「協働の指針」にどう記載されてるか知りたいです。

◼️質問2
昭和60年の東久留米市内の都営住宅は、木造平屋やモルタルの長屋の形が普通で、各戸に庭がついていました。
都営住宅のそのうちの一つの自治会で、T市議が自治会長ということもあり、コンポスターを全世帯に配布しました(貸与から支給)。100個強くらいはあったと思います。(ほとんど使われず各家の庭に残ってました)

平成10年くらいに、都営住宅の建て替えが始まり、木造住宅の取り壊しが始まり、そこの自治会のコンポスターが全部、各家の庭に捨て置かれてました。
私はそれを当時の生活文化課のkグレイ課長にも自治会の会長(既にT市議ではない)にも訴えましたが、ダメでした。

このままでは不燃ごみ行きなので全部私がサルベージし、チラシを作って配り、連絡があった人の家に持っていき、それでも山のように残ったので、あちこち連絡すると、飯能に住む友人がワゴン車で来て、重ねたコンポスターの山を引き取りに来てくれました。飯能の家々の庭にあるコンポスターで蓋に「東久留米市」とあるのが見つかったらそれです。

生活文化課が(市民と行政の)「協働の指針」を作ったあとの現在なら、生活文化課に相談した場合、今なら別の対応がされると考えてよいですか。それとも「そういう問題は、そちら(住民)でなんとかしてくれ」という対応ですか。教えてほしいです。

↑職員研修で「市民からこういう要望がきたら、どうするか」というシミュレーションとして使ってほしいです。

◼️質問3
「市民との協働」の「市民」とは、どういう人を想定していますか。
現在、無償労働の担い手は減っています。
最近のニュースでも「『命の電話』の相談員が減っている。かつての相談員の供給源だった『専業主婦』が減っているので、成り手が減っているためである。」という解説を目にしました。
生協やPTAや自治会の役員も、「命の電話」も従来のような成り手がいない。そこをどう考えていますか。

◼️質問4
生涯学習センターが「公民館」だったころ、そこの保育室が他の会議室との併用でなけでば使えない規則でしたので、保育室だけを単独で借りられるようにしてほしいという要望を館長に出しました。その後、館長によると規則を改正して可能になったという返事をいただいたので、保育室だけを育児サークルで借りようと公民館に行くと、対応する職員の対応はかけ離れたものでした。

「市民の要望に応じて変えた」と役職の偉い人が言っても、現場の職員の応対が違っていた場合は、どうしたらいいですか。

◼️質問5
東久留米市環境フェスティバル2020は6月13日(土)と14日(日)
オモチャと文房具のリサイクルのコーナーを自分たぶんやるとは思います。しかし私は2015年から、これを行政と市民の協働にしてくれと、ごみ対策課と環境政策課と生活文化課に要望を出しています。
東久留米市くらしフェスタ(2017)の前に生活文化課に行ってくらしフェスタ担当の職員の方二人に話をさせていただきました。

具体的に言うと

行政が「オモチャと文房具の実行委員」を募集してくれ。そうすれば自分も応募しますという話です。

行政のリソース(ストックヤードや、広報ほか)が使えるようになればと要望してます。

年に1回のイベントでなく、年間を通した恒常的な回収と頒布の仕組みが出来れば(長野県松本市で先行例がある)と思います。

オモチャと文房具のリサイクルについて、市民と行政による協働の可能性は今後「ある」と考えてよろしいでしょうか。

 

その他備考
環境フェスティバルに再資協さんが参加されているように、くらしフェスタに「きぼう工房(市内にあるほうの)」に参加してもらって不用品の回収ができるようになるとことを生活文化課に要望します。
そうでなければくらしフェスタに2日もかける必要はないないのでは。公的チラシも作ってないし、見直したほうがいいのではないでしょうか。障害者団体のリサイクルは広報が上手とは言いがたいので行政指導が出来るならしていただき、市の仕組みのなかに入れられないものかと思います。

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最初は、「(旧)まちさぽ」の失敗についてどう総括してますか、という質問だったが、書いてるうちに、脳内kさんズがあれも書け、これも書けと。

こちらのように、何かを批判する際は暴言を避け、具体的に「こういうところが」と書くようにしているので、長文になるっす。

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↓同作家様 〈ためになる 「フォロワー90人のときにフォロワー2.6万人の人から教えてもらったこと」〉

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