東久留米日記

時事メモやオモチャと文房具のリサイクルとかごみ収集の話とか

空きビン空き缶の分別回収時も、後塵を拝した東久留米市

資料が出てきたので載せる。
東久留米市のゴミ対策課が清掃課だった頃、西東京市はまだ保谷市田無市だった。その後合併して西東京市になったが、東久留米市とあわせて三市の合併になる話も出ていた。


保谷市田無市新座市(埼玉県で、東久留米の東部と隣接)では、空きビンと空き缶の分別回収が始まっていたが、東久留米市では気配すらなかった。


ひばりが丘団地。団地は、田無市保谷市東久留米市にまたがっていた。(ゴミの収集車も当然別々)
前2市の団地部分に空きビンと空き缶の回収のコンテナが置かれていた。

ネットでは見にくいが、写真には、かごの側面に赤い字で印字されてるのが読める。
黄色いかごに「空ビン 田無市
青いかごに「空カン 田無市」とある。

写真の裏面に「フジカラー ,90」


ひばりが丘団地は現在の団地に立て替える前。
東久留米市の団地部分にはグリーンボックス(可燃ゴミ用)とオレンジボックス(不燃、缶、ビンを分けずに入れる)があり、保谷市田無市団地の人も利用してると言われていた。「いつでもゴミを捨てられる」から当然の話。

私は保谷市生活クラブ生協の事務所(というか。とにかくまだデポーはない)に行く途中で、道路にはコンテナに空き瓶や空き缶が入れてあるのを不思議に思い、写真に撮ったのだった。(3枚とあるが1枚紛失)


保谷市には保谷生活者ネットワークがあったので、こんな資料ももらった。

保谷市では分別収集を始めて、こんなにもうけているじゃん!!」と、当時思った(単純)。


東久留米市は空きビン空き缶の分別収集も出遅れた。やっていなかった。

注 ボックスだけでも置き場所をとっているので、さらに缶とビンの回収のかご(コンテナ)を置くとしたら、至難の業である。

当時の東久留米市のボックス。


東久留米市でもビンと缶の分別収集をやってほしい、導入する予定があるのかと、東久留米・生活者ネットの皆で市長に聞きに行くと・・・
当時の市長は「東久留米の住民に、空き缶や空き瓶の分別なんてできるわけがないでしょ」と、のたもうた。
いやもうほんとに「ダメだ、東久留米市は」糸色望したのを昨日のことのように覚えている。
(T(T(T(T_T)T)T)T)


それでもって、東久留米・生活者ネットワークで古紙と空きビンと空き缶の集団回収を始めたわけで、だんだんと「うちも古紙とビンや缶を集めるから回収してほしい」という生活クラブの「班」が増え、市内をポイント回収することになり、それを清掃課に引き継ぐまでの間が大変だった。(あれを対案提起型の市民運動と言わずに何を市民運動というのだ)

当時は東久留米市の集団回収の報奨金の対象品目に、まだ空きビンが含まれていた。しかし、ビンを引きとってくれる業者さんがどんどんやめていく時期だった。だから、探し回り、そりゃもう(長くなるので略)……


東久留米市でビンと缶の分別収集を始めるとき、自分達が作った回収ポイントが最初の行政(清掃課)によるモデル回収として引き取ってくれた。その後清掃課は協力してくれる自治会などに徐々に分別回収のモデル地区を広げていったわけで。(それに紛れて、清掃課はオレンジボックスを廃止していったわけで、上手だった)

……


エコマップといい、育児応援マップといい、そういう冊子作るのが好きだったんデスねといわれても否定できない自分。うわあ。
w( ̄△ ̄;)w
東久留米エコマップhttp://capnew.ehoh.net/ekoeko/eco-index.html

でももうエネルギーきれているので、エコマップ2016年版なんて作れないすー

当時の自分、こんなのも作って配っていた。

東久留米の報奨金の額が日本1かもしれないというのは、都内で一番なら全国で一番だろうと思ったからで。小平市では、アルミ缶の回収については25円/キログラムの報奨金というふうに、品目により報奨金の額をわけているところもあるので、比較はできないかも。

注1 小平市の「カレット」というのはビンのこと。
酒の一升瓶のように洗ってリサイクルできる「生きビン」ではなく、粉々にして溶かして再生する用途のビン。
東久留米生活者ネットワークで回収したビンも、ほとんどがカレット用のビンで(当時は生活クラブでもRビンは取り組み始めたところだった)、業者さんのところで、回収したビンを鉄の大きなコンテナに全部投げ入れる(粉々にする)ところまで、やりましたよ自分たち(若かった……)。

注2 当時はネットといえばパソコン通信ニフティサーブの時代なのでネットで調べられるはずも泣く、保谷市の大き目の図書館に行ったときに調べることができたように思う。


当時の自分、こんなのも作っていた2


東久留米市でも分別収集をはじめてほしいと思った。でも請願や陳情を出すだけではダメなんです。動かないんです。(この紙ではもれているが、ボックス収集は8市くらいで導入していたはず)

まだある市長語録。あの市長は先のネットとの話し合いの時にこんなことも言った。
「市が分別収集を始めたところに、国とか企業が回収をやりますとなったら、(市が分別収集を始めても)無駄になっちゃうんじゃないの?」
「全部一緒にボックスに入れて、障害者団体の人に分けてもらえばいいんじゃないの?」

とにかく市長にやる気がないということはよくわかり、一緒に行ったみんなは打ちのめされて市役所をあとにしたのだった。

あんな人を市長にしちゃったのかあああ自分(たち)・・・という後悔とともに。
        ↑
(わかる人にはわかる)

生活者ネットでビンと缶のポイント回収を始めてから、再び市長にかけあったときにも言われた。
「あなた方は特別なんですよ。普通の人にはビンと缶の分別なんてできませんよ」
いやもうほんとうに。

(この市長だけでなく、市役所の偉い人のなかには、本当に悪気がなく、こちらの気持ちをへこませ、ライフを削るのが上手な人がいるのを後に知るのだった)


「普通の人」って何ですか。

「普通の人」ってどこにいるんですか。

「普通の人」って、普段いったい何を考えているんですか。

 誰か教えてください。


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メモ
山崎 雅弘 ‏@mas__yamazaki
早川タダノリ「『美しい日本』の称揚は、恣意的につくられた『日本人の価値観』を共有しない者を排除することと表裏一体です」(朝日)http://bit.ly/1nLSUzC 「『美しい日本』が好き、というメンタリティーは、『この美しい日本を汚すやつは許せない』に転化しかねない」

山崎 雅弘 ‏@mas__yamazaki
(続き)「『反日』『売国奴』という呪文は、それを唱える人にとって洗剤みたいなもので、『汚れ』を排除し、漂白したいという欲求をはらんでいるように思えます」「いま、当時と同様、国家の神聖化と異物の排除が同時進行していないか」「政治の世界に『美』が持ち込まれると、ロクなことにならない」

山崎 雅弘 ‏@mas__yamazaki
早川タダノリ氏が指摘する「この美しい日本を汚すやつは許せない」という思考の典型が、過去の負の歴史を「自虐」「国の名誉を汚す」と捉えて否認・排斥する歴史修正の動き。自国の歴史を見かけ上「美しく保つ」ことを至上と考えて、ピカピカに磨く人間にとって、不都合な歴史は憎悪の対象でしかない。


‏@takebata
亡き父の名の下で行われた事から目を背けず、自らの責任として引き受け、一生かけて償う人生。自分がその立ち位置だったら、引き受けられるか、という問い。→→【両陛下の慰霊訪問】で直視すべき、フィリピンの許しと日本の道義的責任 http://biz-journal.jp/2016/02/post_13598.html

@taka18782
日本兵に妻子を殺されながらBC級戦犯には寛大だったキリノ大統領……。恥ずかしながら自分も知らなかった。教わらなかった。日本は自らの戦争加害をあまり教えないから、赦された恩も知らないままになってしまう。 / “【両陛下の慰…”


フジヤマガイチさん@gaitifujiyama
中越沖地震柏崎刈羽が致命的な事故になりかけた教訓を生かし泉田知事の強い進言もあり福島第一に免震重要棟を作った事で、最悪の事態を避けられた事実はもう忘れたのかねえ。免震重要棟ない原発は動かすな、という最低限のことさえも出来ないのかね
時事ドットコム @jijicom
核燃料の搬入完了=2月下旬に再稼働−高浜4号機 http://www.jiji.com/sp/forward?g=soc%26k=2016020300986%26utm_source=twitter%26utm_medium=jijicom%26utm_campaign=twitter