東久留米日記

時事メモやオモチャと文房具のリサイクルとかごみ収集の話とか

「まちさぽ」についての愚痴とボヤキ

7月18日(土)
東久留米市男女平等推進センターの会議室で「まちづくりサポートセンター」の存続についての話し合い。
「まちさぽ」は、今日で終了になるはずではなかったのか。フタを開けてみたら幹部交代しよう、名前代えよう、新生まちさぽを作ろうというオチになり、「まちさぽ」は延命した。2ヶ月前に聞いた話とは別の展開になった。


私はここ2年くらい「まちさぽ」にけっこう関わってきた。(^_^;))) (それ以前にも何回か来ては離れている。2年前にTさんから「お気に入りマップを作りたいから来て。Kさんいろいろ詳しいでしょうから是非。」と誘われたから再び足を運びはじめるようになった。)

本日参加されたMさんも席上「私はここ5年くらいの間、こんなにまちさぽの方針について話し合ったのを見たことがない」と述べたくらいで、とてもジュウジツした話し合いでした f(^ー^; もちろん皮肉です。私はとてもいい性格をしています。(これを字義通りに受けとる人はこれ以上読まないで下さい)

本日「まちさぽ」に久しぶりに来られた方々の知らないこと。
エピソード1 (隠し文字にするのはやめた)
たまに「まちさぽサロン」に来られる高齢の方で、話をふられると自分の先祖の自慢と出生地と戦争体験から隣近所までの昔語りと自分語りが止まらない御仁がいる。誰かが止めない限り話が止まないその人はたまにレアモンスター並みに出現するのだが、以前のサロンでも誰もその人を止めないので運営委員会で「ああいう人が来た時は司会の人が止めるように」という申し合わせになったことがある。

今日の司会の人もまちさぽに所属はしていたが、実際はあまりサロンに出席していないのでその方についてそういう情報は持ち合わせておらず、「○さんはどう思われますか」と話をふってしまい、案の定、本日の重要課題には全く関係のない先祖からご近所の高齢者問題まで進んだところで、(私が司会者に渡したメモが効いたのかどうか)やっと話を遮ってくれた。

エピソード2
昨年6月頃のまちさぽサロンに、東久留米に引っ越して来たばかりだという御年配の上品な女性が初参加された(市報で知ったらしい)(彼女はその後のサロンには二度と来なかった)。その時ちょうど、他市での市民によるまちづくり活動を色々見てきたTさんもいて、他市のまち作り活動例を話してくれたのだが、それを聞いたその女性は感心して「東久留米でも皆さんいろいろ活動されているのでしょうね」と言われた。しかし、まちさぽの皆さんは顔を見合わせて曖昧にうなずくしかなかったんだよ。
発足して9年もたってるのに何をか言わんや。。。

エピソード3
一昨年の世田谷の市民運動の講師を招いてのワークショップの前後から、未就学児のいる30代の方が4人(女1名、男3名)いらしたが、この2年の間に4人とも来なくなった。女性の方は職場復帰したからだそうだが、男性も、必ずしも仕事が理由で来れなくなった訳ではないように思う。(もちろん、ちょっと興味をもって見にきただけという人もいた)(しかしなにかこう、まちさぽに見切りをつけたという感じ)

エピソード4
昨年の市民プラザまつりの実行委員会に、まちさぽの代表として参加した御年配の陽気な御仁がいる。その御仁は実行委員会での話を持ち帰って伝えた。
「市民プラザまつりでは、来場した子どもに入り口で買い物券が配られ、それで子供らが市民プラザ内の出店で買い物し、終了後に出店者が自分の店が得た買い物券を主催者のワーカーズコープに持っていくと、同じ額の現金に換えてくれる」と。
 誤解して持ちかえり、伝えた。

「まちさぽ」ではそれを真に受けて話し合い、作業を始めた。

滅多にない、「まちさぽ」がお金を稼ぐチャンスだから。

ええ「作業」ですよ。(主に私に負担が)

まちさぽ独自の予算が先細りなのは知っていたから、それを自分の問題と考え、出来ることをやろうと思ったわけですよ私は(為念)。

(注「まちさぽ」は約10年前の発足時に得た補助金とかカンパが唯一の予算で減少の一途をたどるしかないからと、数年前の秋の市民まつりで、材料を仕入れてチョコバナナの販売をしたこともある)

もちろん市の担当職員二人ともまちさぽの話し合いの場に来ていたものの、ワーカーズコープの企画は市とは直接関係していないので、職員二人ともその話に疑問をはさむこともなく「それはイイネ ‼ 」という応援の態度でした。二人とも、まちさぽでお金稼ぎができるなら是非に!という態度でしたよ。為念

しかしその次のまちさぽ会議で会長は「お金についての話はなくなったから」と言っただけで、何の説明もなく、誤りの説明も、謝りもなかった。うやむやというより、「(まちさぽの資金稼ぎ計画は)なかったこと」になっていた。
「なかったこと」にされるのもスッキリしないので、私は後日ワーカーズコープに自分で問い合わせ、その御仁が誤解した元々の話を知った。

orz。

注 お金を稼ぐという部分が「最初からなかったかのように」されただけで、まちさぽは市民プラザまつりに出展し、子ども向けのブツを無料で配った。

市民プラザまつりの実行委員会に出て誤解話を持ち帰ってきた明るい御仁よりも、そういう人(と皆知っている。後で「○○さんだから仕方がないよ」と言う人もいた)を実行委員会に出した会長とか、そういう人しかいなかった「まちさぽ」自体にも責がある。私は誤解の部分をまちさぽのML(メーリングリスト)にも書いた。実際はこうなのを○○さんはこういう風に誤解してきたのだろうとはっきり書いた。

でも会長以外の皆さんも、まるでまちさぽサロンにレアモンスターさんが現れた時のうつ向いて収まるのを待ってる時のような態度だった(でも自分達に非がないことを言われても困るよね)会長を含めて他の人も、言いかたは悪いが、私と同様にだまされたわけだから)

これを読んでいる皆さん、「あの人は子供向けの企画とかを好きでやっているだろうから」とか、「趣味でやっているんだろうから」、「だから何も苦にならないだろう」とか「お金を稼ぐ部分がなくなったけど、楽しくやってるみたいだから、まあ、いいよね?」とか「いい加減に」あしらわないで下さい。私は子供好きの牛乳パック工作大好き人間と思われているのでせう。

(これは自分という人間だからぞんざいに扱われたのではなく、まちさぽでは元から「まあ、いいよね」で何事も流していくのが習いだからに他ならない)


(ボランティアや地域活動についても、「好きでやっているのだから苦にならないだろう」と思うなよ。これは市役所の人に特に気をつけてもらいたいことです)

確かに世の中には、金も時間も労力も余裕があって地域活動をしている方もいるけれど。

私は根にもつタイプか な?(ちゃんとケジメつけていないから成仏しないんすよ)

(*ノд`*)σ

エピソード5
「まちさぽサロン」とまちさぽ運営委員会をずっと別の日にやっていたのを、市役所の職員さんのほうから「月に二回来てもあまり意味がないから」といった理由で、同じ日に一度にやったらという提案があり、同じ日になった。1時からまちさぽサロン、3時から運営委員会、という感じにした。(何をかいわんや)

エピソード6
まちさぽサロンは、そこで町の問題点について盛り上がっても、ただの「おしゃべり」の収束に持っていかれる。いくら盛り上がってもそれで何かをしようという「次」につながらない。
理由のひとつは、それが議事録をとらないただのおしゃべりだからだ。

サロンはもちろん、運営委員会の話し合いの内容についても議事録が書かれたことがあったのかどうか。「お気に入りマップを作ろう」という企画の頃も議事録はない。だからあとでマップの目標(ゴール)はどこに設定してるのかと聞いても誰も答えられないことになる。まちさぽで地域の催しに出展するときも、話し合いで決まった内容は各自自分のノートに必要なことをメモしただけで、だから昨年、Iさんが「前回決まった内容」をプリントにしてきて配ったときは皆さん驚いたのだ。
「こういう議事録みたいのキタのって…初めてじゃない?」という声を聞いたぞ私は。


こういった「まちさぽ近況」を知らない、まちさぽの初期に関わっただけで近年は関わってこなかった人達がまちさぽ強制終了という危機を聞き付けて、この日突然出席し、まちさぽには意義があるとか、初心に戻って、まちづくり初心者にための場所は必要だ…みたいなことを、言われても、どないせえっちゅうのだ。(幹部の方々は「我が意を得たり」というふうに喜んでいらした)

追記
当日のメモ
「まちづくりについて、初心者、小学生くらいのレベルの人が来れるところでいい。」「成果がないとか専門的なことがないからと卑下することはない」と初期参加者で元重鎮Hさんが言われました。

しかし、↓のように準備会をいれると「まちさぽ」は10年以上です。それでいまだに「そもそも中間支援組織とはどうあるべきか」という「自分探し」をやっているソシキなんですよ。おしゃべりしながら時々思い出したように我に返り、「自分たちはどうあるべきか、何をすべきか」という話し合いをするけど、話し合いのための話し合いをするだけ。ぐるぐると「何か」の周りを回るだけ。

資料「まちさぽ」リーフレット

設立時には沢山いたであろう人々がどんどんいなくなり、まちさぽがぐるぐるしてる間に育児応援マップは進化し、今月7月16日(なないろ、の日)には編集会議を立ち上げて1年で二冊組の「ままっぷ」を発売し、氷川台自治会では空き家の庭の利用は進み、地場野菜を食べたいグループは滝山でお店を出し、地域に居場所をというのびのびうさぎは新川町で週一回の居場所づくりを始めて二年以上になるし。
 エコマップの編集を始めて1年で、不完全ながら発行にこぎつけたよ自分も。


私の不満のすべては、私がまちさぽに美しい誤解と多大な期待を寄せすぎていたせいだ。


まちさぽの、月に一回程度集まっておしゃべりできる場所があればいいと思っている一部の方々にとっては、何の不満も反省も問題点もなくて当然なのだから、強制終了をにおわせるお知らせが出たことに当惑されていた。

しかし、半官半民だから毎月市の職員二名が土曜日に出席して ー 職員には休日出勤手当てが出ているはずだ ー ただのおしゃべり会みたいなものが9年も、そしてこれからも続くのはいかがなものかと思う人々が市役所の何処かにいらっしゃるので強制終了になるはずだった、ような感じがする。

★今回わかったこと
グループが終了についての話し合いを始めると、どこかから聞き付けてきた、そのグループの初期に関わった元重鎮のような方が出てきて(最近の運営状況をご存知ない)、グループの存在意義を説いて終了を思い止まらせる。それも集団の力学なのだろう。

市役所の偉いさんも出席されて「協同」を繰り返した。協同って何だ、自分もまだよくわからない、と正直に言われていた。市の長期総合計画に「市民との協同」をうたっているので、まちさぽをなくすわけにはいかなくなったような。「ともに地域の課題を」と。

(そこでまた何十回目かのリセットがなされ、「地域の課題とは何か、さがそう」というところから始まるのだろう)

 しかし、「まちさぽ」は「まちづくりサポートセンター」の略ではなく、「まち散歩の会」でしょうと揶揄されるくらい地域を歩いても「地域の課題って何だろう?」状態でした。(私は今さらまち歩きには参加しなかった)
定年退職されてから「東久留米ってどんな地域だろう」と自分の住んでる地域に初めて興味を持ったといういう方たちが歩かれていた。それ自体にはなんの文句があろうか。

エピソード7
一時は健康づくりのためのウオーキンググループとまちさぽで一緒にまち歩きをされていた。健康づくりのグループからまちさぽに入ってくれる人がいるかと期待したが、結局まちさぽに来る人は一人もいなかった、と聞きました。

エピソード8
まちさぽサロンはおしゃべり会なので、話題に困るといろんな話題が出るわけで、「歳をとったら出身地に帰ろうかと奥さんと話している」などという話をされるご年配の幹部さんたち。

それを聞いて、こちらは今、ここの、東久留米以外に帰る場所がないから、体が動くうちに何とか少しでも暮らしやすくしないとあとがヤバいというか、ホントに怖いんだい、という自分の参加理由との格差にorz
(お金がある人はいいよな)(ここまで書くとルサンチマンがバリバリで体に良くないす)


 まちサポではたまに講師を招いてワークショップをすると、地域の課題って何だろうがテーマで。いくら問題が出ても、そういうことはまあ、いいよね、というふうにこれまできている。それに見切りをつけて私は昔、来るのはやめたわけで。他の場所でも「あそこ(まちさぽ)は何も始まらないから」という理由で離れたという人の話はよく聞く。


幹部クラスが交代になるのは良いことだ。しかし、今までまちさぽに籍を置いていただけで日常的にサロンへの参加はなく、どこらへんがうまくいかないから低迷してるのかを知らない人が幹部になっても、それでは同じ轍を踏む可能性がある。そこらへん、終了させる密命を帯びていた方がちゃんと伝えてくれたらと思う。

私は初期に参加し、見切りをつけて参加をやめ、たまに思い出して行ってみるがちっとも変わってないことを知っては離れ、今回は「東久留米のお気に入りマップを作りたいから来てほしい」と友人に言われて行くようになり、別グループでエコマップは出来たが……という状態で、ずっとまちさぽに関わってきたわけではないですが……。

それでもまちさぽでは、私は実際に既にいろいろ問題点は言ってきた。
(思っていることの半分、いや3分の1くらいは)


ここで愚痴とボヤキばかり書いているように見えるだろうが、私も一生懸命前向きに「まちさぽ」を捉えて「いいとこだけを見よう」とやっていた時期もあったんです。(過去ログを見ればわかります)



国会で安保法案強行採決の週末。
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ラサール石井 ‏@lasar141 7月15日
今はまだ配線するだけで、誰もスイッチなんか押しませんからと。説得されて配線を許すと。必ず未来にスイッチを押すバカが現れる。だから配線工事をやめさせなければならないのだ。今はそのための配線図の書き換えが行われようとしている。
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私は爆発物の起爆装置の安全装置が次々と解除されていっている状態だと思ってました。

■燃え殻 ‏@Pirate_Radio_ 4月21日
個人的手法ですが、苦手な上司や社内の人をクライアントだと思うと結構乗り切れます。自分にとって嫌いな部分や合わない部分も仲間だと思うと文句しか言いたくなくなりますが、お客様だと思うといかに克服したり、その地雷を踏まないようにしようか考えたりして結果評価されたりします個人的手法ですが。