東久留米日記

時事メモやオモチャと文房具のリサイクルとかごみ収集の話とか

アジア化進行観察記録

以前載せたhttp://d.hatena.ne.jp/higasi-kurumeda/20130523 のコピペとその続きの一枚。

シャッター商店街化の進む一角でエイジアン化進行の定点観測
1月27日

2月4日

3月13日

4月22日

この後、右上の植木バスケットの中のカップ酒のビンだけ、倒れたときに危険だと思い持ち去った私は、敷地内不法侵入と窃盗の罪に問われるのでしょうか。

5月22日

5月中旬にこの左となりの居酒屋が閉店。そちらの店の前は片付いている。

1ヶ月とんで

7月11日

私は某会派と某会派と某会派(保守系と革新系)の市議さん3人に別々に、これは独居老人によるセルフ・ネグレクトかもしれないから何とかしましょうと持ちかけたし、更新停止中のここの商店街のサイトの連絡先にもメールしたし、市の商工会議所にもメールしたし、ここに一番近い自治会の会長さんにも話したし、1ヶ月前にはウチの地域担当の民生委員さんにも言った(そこの地区担当の民生委員さんに言ってみると言っていたが音沙汰なし)のですが(半年の間に)。>我ながらようやる

(市に言っても「空き家条例」「いわゆるゴミ屋敷についての迷惑防止条例」もないから何も出来ないのはい聞くまでもないし、「まちさぽ(まちづくりサポートセンターの略称)」は十年間、半官半民で《まちの散歩=まちさぽ》をしてる組織だから言っても無駄だと判断している)

注 今までにも市内の空き家問題を言ってきたことがあるが、結局自分がまちサポの人たちから「あ、『空き家の○○さん(笑)』と認知されるに留まるだけだったので、行くのをやめた。


「まちサポ」は「まちづくりの問題を話し合うところ」なので、私以外にも問題意識のある人がいないわけではなかった。

が、たとえば実際に「駅の周辺の○×町に範囲を限定して、空家,無人家屋,シャッター商店,危険家屋がどれだけあるのか、実際に地図に落としてみましょう」ぐらいのことができれば面白いと思い提案しても、そういう具体的にああしよう、こうしようという話になると「そういう話はまた今度ね」で、立ち消えになるシステムだということが判明したのだった。それでやめていった人が少なくないようだ。


私という人間は、「(事故がおきた時に)壊れていて危ないことを知らなかった(目に入らなかった)のなら仕方がないが、知っていたのに何もしなかったのか」と言われるのはイヤだという小心者で、少し時間があるのであちこち気がついたところに相談してみるだけである。免罪符活動であると同時に、一種のソーシャル問題攻略ゲームでもある。

どこに言ってみても空振りだ。エイジアン化はとまらない。
これでこの植木バスケットが倒れて誰かがケガしても私は知らない。
アリバイ作りは完璧だ(冗談ですよ)。

セルフネグレクトとか在日とか独居とかゴミ屋敷とかシャッター商店の問題と思ったが、じつは暴力団員でも住んでいるのかなあ>まさか>なんだか実はすごい闇がシャッターの中に横たわっていたりして>我が妄想


浅間町のボックスに張り紙がしてあった。6月30日

ゴミ対策課の課の方ががんばっていますが、このボックスの解消はままならなかったようです。

線路をはさんだ反対側の学園町と浅間町のくねくねした道路は対照的だと思う。
学園町・・・それは東久留米のお屋敷町・・・。

■放置自転車
盗まれて乗り回され駅のそばに捨て置かれた感じがする。鍵はかかっている。
(自分の盗まれた自転車もそういう目にあっているような気がするので気になる)


「誰も知らない」を観たときに「発見」し、1カ月以上たっても踏み切りとビルの間に置かれているので、上の理由ではないかと思えた。

放置自転車については警察の派出所いわく「市役所の施設課に言って下さい」。市役所7階まで行き言ってきた>なんというヒマジン>自分でもそう思う>しかし本当に時間はあるけど金のない、かといって働けるほど元気ではない身体なのでお節介ばかり

>もしも、毎日あの場所に自転車を寸分たがわず置いて通勤か通学をしてる人がいるのだとしたら申し訳ない。とんだお節介だ。

気持ちが落ち込んでくると「フツウの人はこんなこと(市役所に言いに行ったりすること)をしない。フツウの人はフツウの人はフツウの人は(以下略)」と考えて自分で自分をさいなむ傾向があるので要注意。


■311の宮城県大川小学校の事故検証委員会のニュースが流れると、亡くなった子どもたちの保護者にとって酷なことを、考えるとなく考えてしまう。

地震があったときは先生の言うことをよく聞いて、自分だけ勝手な行動をしたらだめだよ。先生の指示があるまでは絶対に動いてはいけないよ」と、親は子どもに教えていたのではないかと。


釜石市の子どもたちの場合と対比するには時間が必要だ。

釜石市のそれは、就学前と小学校の低学年・中学年・高学年と、年齢に応じたきめ細やかな教え方をすると同時に、ハザードマップを教えた上で、さらに「ハザードマップを信じるな」とひっくり返す、よく考えられ練られた防災教育である。

こういう教育を受けられた学校と及ばなかった学校があり、後者の学校の子どもは十分助かる条件だったのに命を落とすことになるなんて。