東久留米日記

時事メモやオモチャと文房具のリサイクルとかごみ収集の話とか

 「息子と僕のアスペルガー物語」と元証券マンの元校長

大阪の「グローバル戦略」の一環で、民間人から公立校の校長が採用されて3ヶ月。

その一人の元証券マンは、3ヶ月にみたずに校長職を自分から辞した。ニュースになってしかるべき問題だ。

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採用過程で市教委側と意見交換する機会が少なかったことに不満を述べ、「若いからといって、各学年1学級しかない小規模校に配属され、給料も経歴に関係なく最低級。年功序列だ」と批判。自らの退職による混乱については「何も不祥事は起こしていないし、謝罪することではない」と語り、児童に対する思いを問われ、「申し訳ないという気持ちではなく、残念な気持ち」と話した。(YOMIURIオンライン)
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下 小田嶋隆「ア ピース オブ 警句」より引用
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校長は謝罪しない。そもそも、自分が謝罪せねばならないことをしたと考えていない。彼自身は、職場を冷徹に評価し、それを見切っただけだ、と思っている。

だから、児童に対する気持ちを問われて
「残念な気持ち」
 と答えている。

 赴任した学校の子供たちが、自分が取り組むにふわさしい対象ではなかったという評価を、そのまま表現した言葉だ。

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読んでいるうちにあっと気がついた。

ほかの人も言うように「複数の外資系証券会社に10年以上の勤務経験」してきた行動規範(条件のいいところに転職するのは当然で、損益の判断が常時必要な世界)に基づく行為には違いないが、もしかして、この元民間校長で元証券マンの人には、少し発達障害が入っているのではないだろうか。


・他人の気持ちを忖度(そんたく)することが出来ない(全く悪気がない)。

・自分が見切りをつけた学校に通う児童や保護者の気持ちが想像できない。

・任期の途中で校長職を投げ出すことに対する、行政や教育委員会等を含めた現場の混乱に対する想像ができない。申し訳ないという気持ちがない。

( 心ある第三者はここで自分の感覚をもとに、「そりゃ、申し訳ないと思ってないはずがないだろう」と思ってしまうが、彼にそうした感覚はなく、本当にスーパードライだとしたら)

・学校という世界では自分が「新人」であり「1」からのスタートなのに、自分のそれまでの経歴を反映した高給が出るのが当然であると思っている。他者(世間)の判断基準が理解できない。

・ミスマッチだったので辞めるというのが極めて合理的な判断であっても、ミスマッチになる職場に就職した自分の判断の甘さと選択ミスという本人の責任の部分について思い至らない。

(だれか、彼を採用した大阪のグローバル戦略とかによる採用ミスだけでなく、本人が学校の校長という職に転職就労したことについての判断ミスという、本人自身の責任部分について、本人に解説してくれないか)



「不祥事も起こしてないし謝る理由がない」と言うのは、だから、もしかして。


なんてことを「息子と僕のアスペルガー物語」を読んで思った次第。ううむ。
http://gendai.ismedia.jp/category/okumura
現代ビジネスweb連載中
テレビ制作マンの奥村隆の自分と身辺の発達障害を持つ人々についてのドキュメンタリー・レポート。面白い。

会社員向けの読みものの中にこういう連載があり、しかもネット上の連載なので、自分のように「現代ビジネス」に興味のない人もリンクやツイートから見つけ、多くの人に読まれていることが、ほんとに時代が変わったと思う。広く読まれてほしい。


発達障害でしかも病識の”ある”(自分が周囲と違っていると、長じるに及んで気がつき、後天的にふるまいかたを「学習」した男性)テレビ制作マンが、自分と同じタイプの息子や友人などの自己認識の”ない”人の行動原理や思考形式を、実際に関わる人に理解できるように翻訳をしているという側面がある。

(※2015,8,25の追記 「病職」→「病識」の間違いでした。訂正します。大変失礼しました)

(病識=自分が病的な状態にあることの認識 「病気」と「障害」は異なるのでどうかと思ったが、便宜上使用。現在のところ「薬識」などの言葉も出来ているが、発達障害についての自己認識の有無についての言葉はこれから必要であるし、作られると思う。誰か作ってくれたら、私も広めるのに加担する)

奥村さんのはサバイバーの手記でもある。
(こんな他人に理解されない困難を抱えながら生き延びたという意味でサバイバー)

手記をたどることはピーピング・マインド(@ワンピース)(心覗き)である>オタクのつぶやき


自分も以前、ほんんんとうにこういった特徴の、悪気がなくて自分の「おかしさ」に対する認識のない人たちに悩まされた。あと10年早く社会としての認識がはじまってくれていたらと思う。

自分にも偏りがあるので、発達障害アスペルガーについて関心がある。
(「光とともに」は全巻もっている)

また、発達障害という個別の問題だけではなく、自分を理解する、他人を理解するとは、他人に寄り添うとはどういうことか、異文化を理解し対応するということの実践例としても興味深く読める。応用範囲大である。


昔、市内で友人たちが催した発達障害についての講演会で、講師の先生も「発達障害の人と付き合えたら、どんな人ともうまくつきあえますよ」と言っていました。