東久留米日記

時事メモやオモチャと文房具のリサイクルとかごみ収集の話とか

[愛国」という字で何を連想するか-1,2

先日、NHK朝ドラ「あまちゃん」を見てたら、「なめ猫」の写真がチラリと出てきた。高校生の主人公の母親が高校生だった頃の部屋にある、昭和のグッズの一つとして「変な猫の写真」と言われていた(笑)。
「なめんなよ!」という鉢巻を被った猫の写真が流行った頃に「愛国⇔幸福」切符も流行ったような気がする。

でもいまどきの若いモンは別のことを連想した。(ウチのヤツだけかも)




念のため。当時の切符は「アイコク」ではなく、「愛の国」という意味に解されていた。

ただの思いつき
いっそ自ら、黒地に白で「在日認定(されてます)」と描いたTシャツを着た人達が、ウヨクのデモのときにずらっと歩道側に並んで抗議したらインパクトあるかもと思ったが、いや、悪趣味か。


「愛国」のイメージを落とし、日本の国益を損ねる(オリンピック候補地に、こんなデモがあっては落とされる理由として十分だ。外国メディアで報道されたら日本は理解不能の怖い国だというイメージができても言い訳できない。「世界中から愛される国 日本」と言うてたのは誰だっけ)そういう意味では「国益を損ねる反日的な行動」である。
政府官邸に抗議に行かないで、新大久保に嫌がらせに行ってるかぎりは。

「出て行け」と叫ぶ人たちは、自分が同じことを言われる日が来るかもしれないことを想像したことがないのだろうか。

私はある。

小松左京の「日本沈没」で、小松氏が本当に書こうとしたことは、日本列島が沈没して、国民が流浪の民になって世界中に散っていったとき、「国土」をなくした「国民」は「国」としてどうなるかという<その後>だったそうだ(ユダヤ人みたいになるのかな)。そのための仕掛けとしての「日本沈没」だったと、「日本沈没」は序章に過ぎなかったと知ったときは驚いた。

(それが「『日本沈没』の輪転機を止めてくれ(税金が払えなくなるから)」と言うほどに売れに売れてしまい、勝手が違ってしまったそうだ)


原発事故の収拾がつかなかったら(今もこれは不確定)、日本人は皆中国やアメリカやオーストラリアに避難と移住をして、あるいはそこで「日本人は出ていけ」と言われる日が来ないとも限らないと、私は311のあとに考えたことがある。

(「日本国全員が非難しなければならないほど深刻」という原発のコミュがあったので)

自分が「出て行け」と言われる側になることは、想定外などではない。
「アライバル」は空想上の美しい物語とも限らず。