東久留米日記

時事メモやオモチャと文房具のリサイクルとかごみ収集の話とか

在特会のデモのメモ

小田嶋 隆 ‏@tako_ashi コラムニスト
「ネット上に殺害予告の書き込みをした人間は、逮捕起訴されて実刑判決を受けている。一方、「良い朝鮮人も悪い朝鮮人も殺せ」みたいなプラカードを掲げて新大久保の街路をデモ行進した人たちはおとがめなしだったりする。不思議な国だよ。」

「新大久保で「○○人殺せ」とか叫んで行進していた人たちは、明らかに日本の評判を落としているわけだから、ふつうに考えて反日団体ということになりますね。」

小田嶋さんは「ツイートって、不特定多数の他人に無断引用されてナンボのものだと思って」る人で、自分もネットはそういうものだと思っているし、無断転載が許せないと言い出すような人の転載はしていないつもり。

プラカードの「良い韓国人」は場所が新大久保駅だから、10年位前に酔ってホームから落ちた日本人を救おうとして線路に下りた二人も亡くなった事件で、その一人が韓国からの留学生だったことを慮って書いたのかもしれない。(新聞やテレビで結構取り上げられた事件だが、「十年一昔」なので、20代の人には「なにそれ」という話かも)

新大久保でまた、在特会のデモがあったのをネットで知る。醜悪なプラカード(閲覧注意)
その一
その二
日本はここまで劣化した。こういった、街に繰り出すネトウヨ?は旧来の右翼とは違うように思う。嫉妬の感情に憑かれた、ある意味フツウの日本人で、かつバレンタインデーに義理チョコのひとつも交換するような人間関係を持っていない人達のデモなのではないか。

そんなふうに、なんというか、もしも、「持たざる者」の「持てる者」への羨望と嫉妬に基盤を置いているものだとしたら、私には他人事ではない。

前回の新大久保の同じデモ隊の乱暴狼藉は、通行中の同じ日本人にも向けられ、たとえば韓国グッズを持っている女性(新大久保に韓流スターのブロマイド等を買いに来る人)がいると、デモの男性はそのグッズを取り上げて地面に叩きつけ、さらにそれを足で踏みつけるといった行為が目撃されたという。

 これはその行為をしたウヨク男性にとって、本来は自分がその韓国グッズのように女性から求められ所有され大事にされ可愛がられ注目を集め・・・るはずなのに、その自分の居るはずの場所が別のもので占有されていることに対する「怒り」「嫉妬」による行為である云々…と、岸田秀なら語るんじゃないか、きっと。
(備考 岸田秀「嫉妬の時代」岸田秀の本は「ものぐさ精神分析」など多数出ている)


まるで、食べても食べても満たされず、湯屋を暴走するカオナシのような人たちが、新大久保で、毒を吐いてまわる。怖く悲しい。(在特会やそんなデモに参加しないでいいくらいに、幸福になることをお祈りします。祈願します。念じます。どうぞお鎮まりください。ふざけて言ってるように見えるかもしれないけれど。)

中沢けい ‏@kei_nakazawa 作家さーん
在特会が悪態をついて新大久保を練り歩くようになって今月でちょうど半年。個人的には殴るよりも、肥え桶を担いで行って、肥えを撒いてやりたい(あくまでイメージですから、そこのところ誤解のありませんように。老婆心)」

「首相には一部とは言え支持者の中にどんな人がいるかを知って欲しいです。」

在特会・新大久保デモのコール。「ゴキブリ」「ゴキブリに失礼」「臭い」「死ね」「出て行け」「叩き出せ」「変態」「犯罪者」「ガス室を作れ」「焼き払え」「同じ空気を吸うな」「よつんばいになって歩け」と。小学校の教室で聞いたセリフばかり。」


「小学校の教室で聞いたセリフばかり」と言われてみれば、なるほど在特会のデモの人たちが言ってるこれらの罵詈雑言の数々は、ひょっとして、ほかならぬ彼ら自身が過去に小中学校の教室で投げつけられてきたいじめの言葉の数々なのではなかろうか。違っていたら申し訳ない。すいません。

●Akao Mitsuharu ‏@royterek
在特会だか新社会運動だかの連中が撒き散らしてるような言説って、はっきり言って、公民権運動以前のアメリカの南部でレイシストが黒人に向かって浴びせていたような言説と同じか、それ以上にひどいに違いない。そんな酷い言説が野放しにされてる日本は、公民権運動以前のアメリカ並にひどいのでは?」

レイシズムはあかんといくら論理や修辞の限りを尽くして語ろうとも、現場でレイシストと対峙することを伴わなければ、なくなるものもなくならない。まだ端緒に着いたばかりとはいえ、しばき隊は身をもってこのことを私たちに教えてくれた。一時的にペンを捨て、町に繰り出してこそ、社会は真に変わる。」

レイシストをしばき隊 隊員募集
http://kdxn.tumblr.com/post/41861067184

●木下秀明 ‏@khideaki
体罰を懐かしみ、良い想い出になってしまうのは、今は絶対に体罰を受ける心配のない人間だけだ。体罰は苦しいものだが、その苦しみを自分は耐えて抜け出したと感じれば、その忍耐に対して自分を褒めてやりたい気分が生まれる。それが体罰を懐かしみよいものだと思ってしまう感情となるのだろう。